「指導」では人は動かない
ビジネスの現場において、部下のモチベーションが上がらない、離職が続くといった課題に直面したとき、多くのリーダーはまず「指導」や「説得」で解決しようとします。しかし、精神科医の斎藤環氏(筑波大学名誉教授)は、不登校やひきこもりの支援において「指導や説得は逆効果である」と断言します。
斎藤氏は講演「これからの時代に求められる不登校支援について」の中で、教育・医療の現場で起きているパラダイムシフトを詳しく紹介しました。その内容は、子どもや若者の支援にとどまらず、現代の組織マネジメントにも深く通じるものです。本記事では、斎藤氏の知見をもとに「人を育てる本質」を紐解いていきます。
「問題行動」というレッテルが信頼を壊す
人が動かないとき、周囲はつい「怠けている」「やる気がない」とレッテルを貼りがちです。しかし、このレッテル貼りこそが信頼関係を損なう最初の一歩だと斎藤氏は指摘します。
かつて不登校は「ずる休み」「怠け」と呼ばれていましたが、現在、文部科学省は「不登校は問題行動ではない」と明言しています。これは「指導して矯正すべき対象ではない」という意味です。しかし、学校現場では依然として非行対策と同様の「指導」が行われがちだといいます。
斎藤氏によれば、不登校の要因には、教師によるハラスメントやいじめ、過度な校則による「尊厳の低下」など、本人の資質ではなく環境に起因する「外的要因」が多く存在します。これらを解消せずに本人を変えようとする指導は、見当違いな対応にほかなりません。
ここで鍵となるのが「ケア」という概念です。斎藤氏は、ケアとは「問題のある部分を直すこと」ではなく、「その人が持っている健康な部分や残存機能をカバーし、日常生活に戻していくこと」だと説きます。問題を矯正するのではなく、本来持っている力を活かす。この視点の転換は、組織においてメンバーの強みを引き出すマネジメントにも直結する考え方です。
目指すべきは「復帰」ではなく「自律」
組織において、上司はつい「成果」や「出社」といった目に見える結果を急ぎがちです。しかし、支援の現場では、それらを直接の目標にしないことが重要だとされています。
斎藤氏は、厚生労働省が作成した『ひきこもり支援ハンドブック』を引用し、支援の方向性として最も重要なのは、当事者の尊厳や主体性、自尊感情を回復するプロセス、すなわち「自律」であると解説します。再登校や就労は、あくまでその先にある結果にすぎません。
「就労・就学を目指さなくてどうするのか」という批判もあります。しかし斎藤氏は、自律する力が身につけば、社会への適応力は自然とついてくるものだと強調します。逆に、自律というプロセスを飛ばして結果だけを求めると、失敗を繰り返すことになります。
これは企業における人材育成にも当てはまる構造です。目先の業績や出勤率だけを追いかけるマネジメントは、短期的には成果を生むかもしれません。しかし、メンバーが自ら考え判断する力を育てなければ、組織の持続的な成長は望めないのです。
「説得」ではなく「対話」が人を動かす
では、自律を促すためにリーダーは何をすればよいのでしょうか。斎藤氏が提唱するのは「対話型支援」というアプローチです。
斎藤氏は、議論、説得、尋問、アドバイスは対話ではなく、支援者側の「独り言」にすぎないと指摘します。これらは当事者の主体性や自発性を奪い、無力化させてしまいます。相手を変えようとして行う「説得」や「アドバイス」が、実は相手の力を奪っている。この逆説は、多くのリーダーにとって耳の痛い指摘ではないでしょうか。
一方で、中身のない軽いおしゃべり、いわゆる雑談には大きな価値があると斎藤氏は語ります。雑談は主観と主観の交換であり、そこに上下関係は生まれません。劇作家・平田オリザ氏の定義を引き合いに、「会話が合意形成を目的とするなら、対話は違いの共有である」と説明します。
「自分は相手とこんなに違うんだ」と互いに共有できること、それが対話の成功です。結論を出す必要はありません。安心して話せる関係性が土台にあれば、人は自ら一歩を踏み出すことができるのです。
心理的安全性が「自律」の土壌を作る
対話が成り立つためには、その前提となる環境が必要です。斎藤氏が強調するのは、家庭や学校、そして職場が「安心安全な場所」であることの重要性です。
斎藤氏は、中学校に入ると急に教師から呼び捨てにされたり、理不尽な校則を強要されたりして子どもの尊厳がおとしめられる「中1ギャップ」が、不登校急増の一因になっていると指摘します。家庭においても、親が不安を回避するために登校を強要したり、「勉強が遅れる」「お金がない」と不安をあおって人を動かそうとしたりするのは、失敗のもとだといいます。
批判されたり否定されたりする不安がある環境では、人は動けません。否定されず、安心して過ごせる土台があって初めて、外の世界へ踏み出す気力が生まれます。
近年、ビジネスの文脈で「心理的安全性」という言葉が注目されていますが、斎藤氏が語る支援の原則は、まさにその本質を突いています。発言しても否定されない、失敗しても責められない。そうした環境を整えることが、自律型人材を育てるための必須条件なのです。
組織における「ケア」の復権
「指示待ち人間が多い」と嘆くリーダーは少なくありません。しかし斎藤氏の知見に照らせば、指示待ち人間を生み出しているのは、「指示・命令・説得」で管理しようとする組織そのものなのかもしれません。
相手の尊厳を守る「ケア」の姿勢を持つこと。結論を急がず「対話」を通じて違いを認めること。そして結果ではなく「自律」というプロセスを信じて待つこと。この「急がば回れ」のアプローチは、一見すると遠回りに見えます。しかし、変化の激しい時代に自ら考え行動できる人材を育てるためには、この土台づくりを避けて通ることはできません。
不登校・ひきこもり支援の最前線から届けられた斎藤氏の言葉は、企業が日々向き合う組織運営や人材育成にも、多くの気づきを与えてくれるものです。
