コラム

幾多の危機を乗り越える企業レジリエンス 人吉のホテル経営に見る地域との共生

熊本県人吉市は、かつて司馬遼太郎が「日本でもっとも豊かな隠れ里」と評し、俳人の種田山頭火も長く滞在したことで知られる、自然豊かで歴史ある城下町です。球磨川の清流に抱かれたこの地で、一人の女性がホテル経営という挑戦を始めました。

「ホテルサン人吉」の代表、村田優子さんは山口県防府市の出身です。大学卒業後はシンクタンクに勤務し、女性の社会進出やライフスタイルについて研究を重ねました。その後ドイツへ渡り、結婚して8年間を過ごし長女を出産しましたが、やがて帰国の道を選びます。

2007年、シングルマザーとして生きる決意を固めた村田さんのもとに、縁もゆかりもない人吉で居抜き物件の話が舞い込みました。人吉の雄大な自然と、そこに暮らす人々の温かさに惹かれた村田さんは、この地での定住を決意し「ホテルサン人吉」を開業します。シンクタンクでの分析力、ドイツでの国際経験という異色の経歴を携えた経営者の新たな挑戦が、ここから始まりました。そしてその後の歩みは、「レジリエンス」という言葉そのものを体現するものになります。レジリエンスとは、困難や逆境に直面しても折れることなく、しなやかに立ち直り前へ進む力のことです。村田さんのホテル経営は、まさにこの力が試される連続でした。

続く困難と被災直後の決断

開業後、ホテルには順調に客足が伸びていきました。しかし、その歩みは決して平坦ではありませんでした。リーマン・ショック、鳥インフルエンザ、口蹄疫、SARS、2016年の熊本地震、そして新型コロナウイルスと、客足が遠のいては戻るという波が幾度となく押し寄せました。

そして最大の危機が訪れます。コロナ禍による休業要請が明けた直後の2020年7月4日、記録的な豪雨により球磨川が氾濫しました。ホテルは1階ロビーの天井ぎりぎりまで浸水し、ロビーのソファはすべて濁流に流されました。地下の機械室も完全に水没するという壊滅的な被害です。幸いにも宿泊客や従業員に人的被害はありませんでしたが、これまで経験したどの危機とも次元の異なる打撃でした。

甚大な被害を目の当たりにしてもなお、村田さんは一刻も早い営業再開を目指しました。その原動力は「温かいご飯と安心して泊まれる場所を提供するのがホテル業の社会的責任」という揺るぎない信念です。

復旧作業のために全国から駆けつけたボランティアの多くは、コロナ禍の影響で宿泊先の確保に苦労していました。村田さんはそうした人々のために、いち早くホテルでの受け入れを始めました。さらに、駐車場にするために購入していた3階建てのビルを、水やマスク、長靴などの支援物資を保管する拠点として地域に無償で提供しました。過剰な債務を避けるためにスピードを重視した最低限の改修に絞り、翌2021年1月には営業を再開させています。被災から半年での再開は、村田さんの経営判断の的確さと行動力を物語っています。

レジリエンスを支える家族とロータリーの絆

幾多の危機を乗り越えてきた村田さんの原動力は、信念だけではありません。共に歩む家族と、信頼で結ばれた仲間の存在が、本当の意味でのレジリエンスを支えています。

ホテル開業後に再婚した10歳年上の森原勝己さんは、専務としてホテル経営を力強く牽引しています。企画力と行動力に優れた夫の存在は、村田さんにとってかけがえのないパートナーです。また、長女は大学を卒業後、フィンランドの大学院でAIを学んでおり、将来は人吉に戻って地域に貢献したいという志を持っています。困難のさなかにあっても前を向き続けられるのは、こうした家族の支えがあってこそです。

もう一つ、村田さんの歩みを語るうえで欠かせないのが、ロータリークラブとのつながりです。村田さんは人吉中央ロータリークラブに初の女性会員として入会し、以来、クラブの活動を通じて地域に深く根差した人間関係を築いてきました。

その絆が最も力を発揮したのが水害のときです。近隣クラブの会員が自らトラックを走らせ、支援物資を届けてくれました。日頃から人を裏切らず、誠実に向き合うことで培われた信頼関係が、非常時に確かな力となって復興を後押ししたのです。ロータリアン同士の助け合いは、単なる組織の枠を超えた本物の絆であったと言えるでしょう。

復興の先を見据えた新たな試み

大水害から数年が経過した今も、人吉市では人口減少が続き、手つかずのままの更地が目立つ現状があります。しかし村田さんの視線は、復興のさらにその先を見据えています。

水害後にできた空きスペースを活用し、村田さんは「ひとはこ図書館」を試験的に開設しました。子どもたちや高齢者が気軽に集える場所をつくることで、新たなコミュニティの拠点を生み出す取り組みです。人と人とのつながりが薄れがちな被災地において、こうした「場」の創出は地域再生の大きな一歩と言えます。

また、人吉温泉の女将の会「さくら会」にも参加し、着物に法被姿で地元のPR活動や陳情に奔走しています。周囲からは「リーダーシップがあり、大らかで救われる」と慕われる村田さんは、常に海外や新しい取り組みに目を向けながらも、足元の地域と共に歩むことを忘れません。

シンクタンクの研究者として出発し、ドイツでの生活を経て、縁もゆかりもない人吉の地に根を下ろした村田さん。幾多の危機を乗り越えてきたその歩みは、企業の強靱さとは設備や資金だけでなく、人とのつながりと地域への貢献によって培われるものであることを教えてくれます。人吉の復興と発展を目指す村田さんの挑戦は、これからも続いていきます。