コラム

【寄稿】とりあえず国公立で本当によいのか 進路指導の現場から見た若者の4年間

学習塾クライムアップの澤田塾長に寄稿いただきました。


私どもは地域で学習塾を営み、日々、高校生の学習指導と進路相談に向き合っております。このたび寄稿の機会をいただきましたので、教室で見えている進路選択の現実について書かせていただきます。

生徒や保護者の方と進路の話をしていて、繰り返し耳にする言葉があります。「とりあえず国公立を目指しておけば安心」という言葉です。学費の負担が軽く、周囲からの評価も得やすい。この選択が地域社会において一つの安全策として共有されていることは、確かな事実でしょう。

私どもは、生徒を志望校へ送り出すことを仕事にしています。その意味で、国公立大学への合格は歓迎すべき結果です。しかし、卒業した教え子たちがその後どう進んでいくのかを見てきた立場から申し上げると、この「とりあえず」には見過ごせない危うさがあります。進学先を決めるという行為は、4年間の在籍先を決めることではありません。社会に出る直前の4年間を、どの環境で、誰と、どのような目的意識をもって過ごすかを決める意思決定です。合格発表の日ではなく、その4年後に何が起きるのかを、あらかじめ考えておく必要があると感じています。

進路指導の現場に存在する構造

高校の進路指導では、都市圏の私立大学よりも、地元あるいは地方の国公立大学が勧められる傾向があります。これは指導にあたる先生方の怠慢ではありません。学校という組織が置かれた構造から生じる、ある意味で自然な帰結です。

高校にとって「国公立大学合格者数」は、学校の実力を対外的に示す最もわかりやすい指標の一つです。中学生とその保護者に選んでもらうため、また地域からの評価を保つために、この数字は重い意味を持ちます。結果として、合格の可能性が高い地方の国公立大学への出願が推奨される場面が生まれます。

そして正直に申し上げれば、私ども学習塾もまったく同じ構造の中にいます。合格実績によって選ばれる業界であり、数字を掲げて教室の看板とする点では変わりません。ですからこれは他者への批判ではなく、自戒を込めた問題提起として受け取っていただければと思います。

問いたいのは、学校や塾の姿勢の是非ではありません。「その進路選択は誰のためのものか」という視点です。学校には学校の事情があり、塾には塾の事情があり、保護者には保護者の願いがある。そのすべてが善意から出ているとしても、肝心の本人の意思だけが不在のまま結論が出てしまうことがあります。周囲に勧められるまま決めた進路は、入学後につまずいたときに「自分が選んだわけではない」という逃げ道を本人に残してしまいます。

とりあえず地方国公立が招く見えない負担

合格しやすさと「国公立」という響きだけを頼りに遠方の大学を選んだ場合、その負担は在学中よりも、むしろ就職活動の局面で表面化します。これは、大学生になった教え子が教室に顔を出してくれたときに聞かされる話でもあります。

たとえば北海道や東北の大学に進学し、大阪や東京の企業を志望する場合、説明会、インターンシップ、面接のたびに長距離の移動が発生します。交通費と宿泊費は本人か家庭の負担となり、移動に費やす時間は、本来であれば準備や学業に充てられたはずの時間です。深夜バスや早朝の移動を繰り返す消耗が、選考の場でのパフォーマンスに影響することも少なくありません。

近年はオンライン面接が普及し、初期段階の負担は確かに軽くなりました。ただし、インターンシップや最終選考、内定後の社員との接点は、依然として対面が中心だと聞きます。地理的な距離は、企業の情報に触れる機会の量、社会人と接する密度という形でも差を生みます。この差は数字に表れにくく、本人も進学の時点では想像しにくいものです。

18歳の生徒に、4年後の就職活動まで見通せというのは酷な話です。だからこそ、社会の側を知る大人がその視点を補う必要があるのだと考えます。

どこで4年間を過ごすかという視点

ではどう考えるべきか。私どもは、本人の中に明確な目的があるかどうかで、助言の軸を分けるようにしています。

学びたい分野や将来の職業像がはっきりしている場合は、その目的を優先すべきだとお伝えします。学費や生活費という現実的な制約は当然あり、ご家庭での率直な話し合いは欠かせません。しかし、その条件を整理したうえでなお進みたい道があるならば、学校が示す推奨ルートに無理に合わせる必要はありません。目的が明確な生徒は、環境の不利をみずから乗り越えていきます。

一方、やりたいことがまだ見つかっていない場合はどうか。「大学で探せばよい」という考え方自体を否定するつもりはありません。ただし探すのであれば、探すための材料が豊富にある環境を選ぶという発想が、現実的なリスクヘッジになります。多様な人と出会える場所、社会との接点が多い場所、卒業後の選択肢が広がりやすい場所を、可能な範囲で選んでおく。目的が定まっていないときこそ、選択肢を狭めない判断が求められます。

いずれの場合にも共通して大切なのは、最後に「自分で決めた」という感覚を本人が持てることです。これは受験期の指導を通じても実感していることです。自分で決めた生徒は、模試の結果が振るわない時期でも自力で立て直します。決めさせられた生徒は、同じ場面で誰かのせいにする言葉を口にします。この差は、社会に出てからの姿勢の違いとしても表れるはずです。

地域の大人が若者の意思を支えるために

ロータリーの会員の皆様は、地域で事業を営み、若い人材を採用し、育ててこられた方々です。採用の場で皆様がご覧になっているのは、出身大学の名前ではなく、自分の頭で考え、決め、その結果を引き受けられる人物かどうかではないでしょうか。

その視点は、進路を選ぶ前の高校生にこそ必要なものです。しかし私ども学習塾が伝えられる範囲には限りがあります。生徒にとって塾は、あくまで受験のための場所です。社会で実際に人を雇い、育ててこられた方の言葉には、私どもが百回繰り返すより強い説得力があります。

職場体験の受け入れ、地域行事での何気ない会話、ご自身のお子様やお孫様との対話。どのような場面でも構いません。合格実績という数字や大学の難易度だけを物差しにするのではなく、若者が自分の言葉で進路を語れるように、問いかけ、話を聞いていただきたいのです。答えを与える必要はありません。答えを本人が出すまで待つ姿勢こそが、いま最も求められています。

自分の意思で悩み、迷い、それでも決断した経験を持つ若者は、社会に出たあとも困難に向き合い、努力を続けられる人材に育ちます。そうした人材が地域に戻り、皆様の企業を支える。若者の進路選択に関心を寄せることは、地域の未来への投資にほかなりません。

教室から送り出す一人ひとりが、そうした大人になれるよう、私どもも力を尽くしてまいります。


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