コラム

乗らない土地で鉄道会社が生き残る JR九州のまちづくりに学ぶ事業変革

九州旅客鉄道(JR九州)代表取締役社長、古宮洋二氏の講演「JR九州のまちづくり」の要約です。

人口が減り、高齢化が進み、公共交通の利用が細っていくという環境は、地方で事業を営む企業の多くが共有している現実です。JR九州は、その厳しさを最も濃い形で引き受けてきた会社だと言えます。九州は、住民が日常的に鉄道に乗らない土地だからです。

にもかかわらず、同社は2016年に株式上場を果たし、連結営業収益は発足時の約4倍に達しました。そして売上の約7割は、鉄道以外の事業が稼いでいます。市場が縮んでいることを理由にせず、自社の役割を定義し直して変革を進めた同社の歩みには、業種を問わず経営に応用できる示唆が数多く含まれています。

鉄道に乗らない土地で始まった会社

古宮氏が国鉄に入社したのは1985年、国鉄が解体へ向かう最終盤でした。膨大な赤字を抱え、組合によるストライキが頻発する、殺伐とした職場だったと振り返っておられます。1986年頃、九州地区の赤字は年間1,000億円規模に達していました。

1987年のJR九州発足にあたり、社員数は2万5,000人から1万5,000人へと削減されました。それでも毎年280億円程度の赤字が見込まれたため、国が3,877億円の「経営安定基金」を用意し、その運用益で赤字を補填するという枠組みでスタートしています。本業では利益が出ない前提に立ち、金利頼みで会社を成り立たせるという、極めて脆弱な設計でした。

しかも九州は、鉄道にとって条件の厳しい市場です。2009年時点の輸送機関別シェアを見ると、自家用車が76パーセント、バスが12パーセントを占め、鉄道はJRと私鉄を合わせても11パーセントにすぎません。日本一の規模を持つ西鉄バスをはじめ、九州のバス会社は合計で約2,000両の車両を保有しています。高速バスの運行も日本で最も盛んです。JR九州にとっての最大の競争相手は、他の鉄道会社ではなく、マイカーと高速バスでした。

発足当初はまだ高速道路の整備が途上にあり、鉄道に一定の優位性がありました。しかしその後、九州の高速道路が全線開通していく過程で、マイカーと高速バスが急速に伸びます。JR九州の鉄道収入は1996年の1,304億円をピークに、毎年数十億円という単位で減り続けました。祖業が構造的に縮小していく状況が、10年以上にわたって続いたことになります。

流れが変わったのは新幹線です。2004年に九州新幹線の新八代から鹿児島中央までが部分開業し、これだけで収入が約100億円増えました。2011年には博多までの全線が開業します。大幅な時間短縮は人々の生活様式そのものを変え、博多と熊本の間などでは、新幹線通勤の定期利用者が約4,500人にのぼるまでになりました。移動時間の短縮が、住む場所と働く場所の関係を組み替えたわけです。

その後も試練は続きます。2016年の熊本地震、2020年の新型コロナウイルスの流行によって鉄道収入は半減し、新幹線も特急も1両に数人しか乗っていないという状況を経験しました。2024年になって、ようやくコロナ禍以前の水準へほぼ回復しています。

市場環境の悪化、災害、感染症と、外部要因による打撃を繰り返し受けながら、それでも会社が存続してきた背景には、鉄道以外の柱を早い段階から育ててきたという事実があります。

余剰人員が始めたうどん店が、売上の7割を生むまで

「鉄道以外の事業をやらないと会社を維持できない」。発足当初の切迫感は、この一言に集約されます。人員削減の過程で余剰とされた社員が、ビヤガーデンやアイスクリームの販売、うどん店の運営といった仕事に自ら手伝いに出ました。事業戦略として設計されたというより、生き延びるためになりふり構わず手を広げた、というのが実態に近いものでした。

その事業群が、現在ではグループの中核に育っています。飲食事業はグループ会社として独立し、九州の内外でケンタッキーフライドチキンとミスタードーナツを展開しています。ケンタッキーフライドチキンについては、全国1,300店舗のうち約100店舗を運営し、中国、関西、四国のエリアも担当するまでになりました。売上高は15年前の70億円から80億円という水準から、200億円を超える規模へと成長しています。

不動産と開発の分野でも、数字の伸びは際立っています。駅ビルのテナント売上高は1997年の19億円から3,000億円を超える規模へと拡大しました。ホテルの客室数は1992年の90室から4,000室超になっています。分譲マンションは2025年に累計1万戸を突破し、売上高は1,530億円に達しました。最上階に330平方メートルの3LDKを10億円で設定した超高級物件が短期間で完売するなど、商品企画の水準も高い領域に達しています。

結果として、連結営業収益は発足時の1,250億円から4,500億円超へ、約4倍に成長しました。このうち運輸サービス、つまり鉄道事業が占める比率は約3割にすぎず、残る約7割を非鉄道事業が担っています。鉄道事業の比率がJR東日本やJR西日本で6割強、JR東海では8割を超えることと比べれば、JR九州の事業構成がいかに特異であるかがわかります。この構造こそが、2016年の株式上場を支えました。

ここから読み取るべきは、事業ドメインの再定義という論点です。JR九州は自社を「鉄道会社」と定義し続けることをやめ、「まちをつくり、価値を提供する会社」として自らを位置づけ直しました。祖業が縮小する市場に置かれた企業にとって、自社は何をする会社なのかという問いを、看板ではなく提供価値の側から捉え直せるかどうかが分岐点になります。

29年ぶりの運賃改定が示す値決めの重み

多角化と並行して、同社は本業の収益構造そのものにも手を入れてきました。象徴的なのが運賃改定です。

かつては、鉄道事業で赤字が3年続かなければ運賃改定が認められないというルールが存在しました。経営努力によって赤字を圧縮すればするほど、価格改定の道が閉ざされるという、動機づけの面で矛盾した制度です。合理化に取り組む会社ほど不利になる構造だったと言い換えることもできます。

JR九州はこの制度に対し、JRグループ各社とともに声を上げました。人件費の上昇や災害復旧費の負担を運賃の算定に反映できるようルールの見直しを働きかけ、実際に制度改正へこぎつけています。そして2025年4月、29年ぶりとなる運賃改定を実施し、想定どおりの増収を確保しました。

同時に、コストの側も動かしています。日豊本線の一部区間や博多の香椎線では、自動運転によるワンマン運転を導入しました。車掌の人員不足への対応という側面に加え、心的な負担を抱える運転士を支えるケア体制の構築と並行して進めている点も見逃せません。省人化を目的化するのではなく、働く人の状態を含めて設計している姿勢がうかがえます。

こうした値決めと合理化の掛け合わせによって、今年度は発足以来初めて、鉄道事業単体での黒字化が見込める状況になりました。経営安定基金の運用益に依存して発足した会社が、40年近い時間をかけて本業を自立させようとしているわけです。

業界の慣行や規制を所与の条件として受け入れるか、変えるべき対象として扱うかで、経営の自由度は大きく変わります。適正な価格を取り戻すという課題は、値上げの是非という短期の判断ではなく、事業を継続させるための構造の問題として扱われるべきものです。同業他社と利害を共有できるテーマであれば、単独ではなく業界として動くという選択肢もあります。

かつての競争相手と組んで地域の足を守る

九州における最大の競争相手はマイカーと高速バスだと述べました。その競争相手と、JR九州は組んでいます。

国鉄時代には、駅の構内にバスを入れることを嫌う縄張り意識が根強くありました。現在の同社は、その意識を明確に捨てています。西鉄バスをはじめとするバス各社と乗り継ぎの接続を調整し、時刻表を相互に掲示し、共同の割引切符を発行し、みどりの窓口の横にバスの切符売場を設けるといった連携を進めてきました。

古宮氏の言葉が、この転換の理由を端的に示しています。駅からバス乗り場まで歩くわずかな時間のあいだに、これはローカルバスだ、これは鉄道だと言っていられない、というのです。利用者にとっての移動は、事業者の区分とは無関係に連続した一つの体験です。その連続性を分断しているのは、常に提供側の都合でした。

MaaSと呼ばれる交通サービスの統合は、技術の話として語られがちですが、その本質は組織間の壁を取り払えるかどうかにあります。地域の公共交通インフラを共同で支える体制を築いたことで、JR九州は競争相手を失ったのではなく、市場そのものを守る側に回ったと見ることができます。

自社の顧客が本当に困っていることは何かという問いに立ち返れば、競合他社は排除すべき相手ではなく、課題を一緒に解く相手になり得ます。相手を敵と見るか協業先と見るかは、市場をどの単位で捉えるかによって決まります。

ななつ星の満足度で一位になったのは客室ではありません

効率化と並行して、同社は付加価値の側にも徹底して投資してきました。

その代表がD&S列車です。デザインとストーリーの頭文字をとった呼称で、移動という機能を「わくわくする体験」に置き換えることを狙いとしています。沿線各地で地元のレストランの食事を提供し、日常から離れた時間を用意することで、乗車そのものを商品にしています。

その延長線上にあるのが、クルーズトレイン「ななつ星 in 九州」です。最高峰の客室であるDXスイートAは、1両の半分を贅沢に占有する設計で、専用の車窓を2人だけで独占できます。洗面鉢は人間国宝の手によるものです。ハードウェアとして、これ以上ないほどの水準が追求されています。

ところが、顧客アンケートで満足度が最も高かった項目は、客室でも食事でもありませんでした。沿線の住民が手を振ってくれるという、おもてなしでした。

列車が通れば地域の人が手を振り、乗客も窓越しに手を振り返す。互いに「いつもありがとう」と伝え合うような関係が、そこにできています。設備には価格がつきますし、資金を投じれば他社も同じ水準に到達できます。しかし、沿線に暮らす人々との情緒的な結びつきは、資金では買えません。これは他社が模倣できない参入障壁として機能しています。

効率化を進めるほど、顧客が最終的に何に価値を感じるのかという問いは重くなります。技術による省力化と、人と人とのつながりへの投資は、対立するものではありません。前者で生み出した余力を後者に振り向けられるかどうかが、差を生みます。

雇用と無人駅から立ち上がるまちづくり

同社は「九州の元気を、世界へ」という理念を掲げています。地域が元気であることが先にあり、その活力を外へ発信するという順序です。

インバウンドの面では、外国人旅行者向けの専用フリーパスの利用者について、出身国と地域の数が2年前の90から103へと広がりました。九州という地域が、世界の広い範囲から選ばれる目的地になりつつあることを示す数字です。

開発の進め方にも一貫した考え方があります。大きなビルを建てること自体が目的ではなく、宮崎県や熊本県など、それぞれの自治体と商業の規模に見合った「器」を造るという方針です。駅ビルへの買い物客に対して鉄道運賃を補助する取り組みなど、地元との連携も具体的です。

雇用の面では、テナントで働くスタッフを含めたグループ全体の従業員数が約2万人にのぼります。働く場所を生み出すことが人口の流出を防ぐという確信のもとで、開発が進められています。まちづくりと定住対策と本業の成長が、同じ一つの活動として設計されている点が特徴的です。

地域を巻き込む施策も数多く展開されています。1999年から続く「駅長おすすめのJR九州ウォーキング」は登録者が25万人を超え、1回あたり1,000人以上が参加します。地元の功労者を表彰する「九州観光まちづくりAWARD」や、「駅長対抗ご当地総選挙」といった企画も継続されています。

無人駅の扱いにも、同社の姿勢が表れています。築100年を超える歴史ある無人駅を取り壊さずに残し、地元の協力を得て日替わりレストランやコミュニティスペースとして再活用しているのです。筑前深江駅などがその例にあたります。収益性だけで判断すれば整理の対象になりかねない資産を、地域の拠点として蘇らせています。

企業が長く続くためには、その企業を取り巻く地域社会が豊かで元気であり続ける必要があります。社会貢献を本業の外側に置くのではなく、本業そのものに組み込むという考え方は、共通価値の創造として整理されてきた経営手法とも重なります。JR九州の場合、まちづくりが本業であり、地域の活力が収益の源泉になっているという関係が明快です。

経営に持ち帰る3つの視点

古宮氏の講演から、自社の経営に引き寄せて考えるべき論点を3つに整理します。

第一に、事業ドメインの再定義です。自社は何をする会社なのかという問いに、業種名で答えている限り、市場の縮小はそのまま自社の縮小になります。JR九州は鉄道会社であることをやめたわけではありませんが、鉄道会社であることだけに依存するのをやめました。提供している価値の側から自社を捉え直せば、隣接する市場が見えてきます。

第二に、合理化と高付加価値の両立です。自動運転や交通事業者間の連携によって徹底的に無駄を削ぎ落とす一方で、おもてなしや体験の質には惜しみなく投資する。コスト削減と価値創造は、どちらかを選ぶものではなく、同時に進めるべきものです。加えて、適正な価格を確保するという値決めの努力も、この両輪を支える土台になります。

第三に、地域との共生です。自社だけが勝つ構図には持続性がありません。競合他社、地域住民、自治体と手を結び、地域全体の仕組みを元気にすることが、結果として自社の市場を守ることにつながります。ななつ星の乗客が最も高く評価したのが沿線住民の手振りだったという事実は、この考え方の正しさを最も鮮やかに示す例だと言えるでしょう。

条件の厳しさは、変革の理由にはなっても、諦める理由にはなりません。乗客が乗らない土地で鉄道会社が生き残るために積み重ねられてきた工夫は、それぞれの企業が置かれた市場でそのまま応用できる考え方を含んでいます。