【要約】
第1516回例会では、茨木ロータリークラブの吉田政雄様、植田和代様をお迎えしました。黒根会長はロータリー創始者ポール・ハリスの歩みと弁護士の歴史を語り、川尻会員は「私の福井物語」と題して、福井が古代より重要地域とされてきた歴史と継体天皇、そして茨木市の太田茶臼山古墳とのつながりをスピーチしました。
【詳細報告】
■会長の時間
黒根会長は「ロータリーの歴史と弁護士の歴史とポール・ハリス」と題してお話しされました。
まず、ロータリークラブ誕生の経緯が紹介されました。20世紀初頭のシカゴは著しい社会経済の発展の一方で商業道徳の欠如が目立つようになっており、当時事務所を構えていた青年弁護士ポール・ハリスは、この風潮に堪えかねて友人3人と語らい、互いに信頼できる公正な取引を行い、仕事上の付き合いがそのまま親友関係にまで発展するような仲間を増やしたいとの趣旨で会合を考えました。「ロータリー」という名称は、集会を各自の事務所持ち回りで順番に開いたことに由来しています。こうして1905年2月23日、シカゴ・ロータリークラブが誕生しました。
創立時のメンバーは、洋服生地商のハイラム・ショーレー、石炭商のシルベスター・シール、鉱山技師のガスターバス・ローアの3名で、親睦と互助が当初の目的でした。初会合の日が創立日とされ、メンバーは一業種から一人と定められました。その後、3月9日の2回目の会合では印刷業のハリー・ラグルス、不動産業のウイリアム・ジェンセン、楽器商のアルバート・ホワイトが、3月23日の3回目の会合では保険業のチャールズ・ニュートン、洗濯業のアーサー・アーヴィンが加入しました。そして1907年、クラブは最初の公共サービス計画としてシカゴでの公衆トイレ建設に着手し、ロータリークラブは世界で初めての奉仕クラブへと変容したと言われています。
続いて、ポール・ハリス個人の歩みが語られました。ポール・ハリスは1868年4月19日生まれで、同じ頃の日本では明治天皇が五箇条の御誓文を下され、江戸城の無血開城が行われていた時代にあたります。中等学校卒業後にバーモント大学へ進学するも1886年に退学、1887年にプリンストン大学へ入学するも1年で辞め、法律事務所での見習いを経てアイオワ大学で法律を学び、1891年に法学士を取得しました。その後5年間は新聞の販売員、記者、畑仕事、俳優、カウボーイ、家畜を運ぶ船員など多彩な経験を重ね、1896年からシカゴで弁護士業務を開始しています。
さらに、当時のアメリカにおける弁護士制度の変遷にも話が及びました。1900年代までのアメリカの弁護士界は、現役弁護士の事務所で働きながら実務を学ぶ「徒弟制度」が主流でしたが、1900年にアメリカ法科大学院協会が設立され、大学附属のロースクールで専門教育を受けるシステムが確立され始めます。産業革命や鉄道産業の拡大を背景に、企業法務や複雑な金融取引を扱う近代的な大手法律事務所がニューヨークなどを中心に成長し始める、ちょうどその過渡期にポール・ハリスは弁護士となったのでした。
黒根会長は数字による比較も示されました。1900年当時のアメリカの弁護士数は約11万4千人(現在は約133万人)、総人口は約7,600万人であり、667人に1人が弁護士という計算になります。一方、現在の日本の弁護士数は約4万8千人、人口は約1億2,300万人で、2,562人に1人という計算です。1900年当時のアメリカには多くの弁護士がいたといえ、そのような環境下の1905年にポール・ハリスはロータリークラブを設立したと結ばれました。
■川尻会員のスピーチ「~私の福井物語~」
川尻会員が「私の福井物語」と題してスピーチを行いました。
きっかけは2003年、長女が福井大学へ進学し、その4年後には次男も同じく福井大学へ進んだことでした。以後23年間にわたって福井へたびたび出かけ、定番の観光地をめぐるようになったといいます。
通ううちに次第に分かってきたのは、福井が古代より朝廷から最重要地域とみなされてきたという事実でした。律令国家となってからも「大国」に指定され、代々「国司」が治めていました。紫式部も、国司となった父とともに越前国で2年間を過ごしています。戦国時代にも重要拠点とみなされ、朝倉家、続いて柴田勝家が治めました。さらに江戸時代には、徳川家康の次男(当時長男は亡くなっていたため実質は長男)が福井藩の初代藩主に任じられ、しかも徳川の前身である松平の姓を与えられるという特別待遇を受けています。それほどまでに、現在の福井にあたる地域は重要視されていました。
観光を重ねるなかで川尻会員がたどり着いたのが足羽神社であり、そこで継体天皇の像に出会います。6世紀前半、皇室の血統が途絶えかけたその時、当時の朝廷の重臣であった大伴金村らがわざわざ越前国まで出向き、応神天皇(仁徳天皇の父)の5代目の孫にあたる傍系の王子を天皇として迎えに行きました。この王子こそが継体天皇であり、その後、現在の天皇へと直系の男子が即位し続けています。
そして話は、私たちの住む茨木市へとつながります。継体天皇の陵墓とされているのは、茨木市太田3丁目の太田茶臼山古墳です。福井と茨木が古代史の一本の線で結ばれていることを示すこの締めくくりに、会場からは大きな関心が寄せられました。川尻会員は最後に、皇位継承をめぐる議論にも触れ、皇室典範の改正はなかなか難しい問題であると述べてスピーチを終えられました。
